光と想いの共振

少しずつでも先に 5

前回から半年があっという間に過ぎました。

これはと思ったことが穴だらけだったり、

じぶんよがりがあったり、

じぶんの中に掴んだ気持ちがするすると抜けていってしまったりと

集中と放置を繰り返してしまう制作でした。

 

じぶんを表現することと、使う人のことを考えることを

せめぎ合わせて高めていくことのむずかしさを

とても感じています。

 

気持ちの弱さとアイデアの浮かばなさに

落ち込むこともしばしばでした。

 

そんな中、

会話の中で、

「どんな人に使ってもらう映像がまず浮かぶ?」

ということを聴かれました。

 

男性?女性?

 

年齢は?

 

どういう家族で

 

どういう気持ちで

 

どう感じて

 

どうしたいと思う?

 

そんな当たり前のことを改めてまっすぐ聴かれて

ぐっと脳に力を入れて、でも肩の力は抜いて

考えました。

 

ぼくは

女性に使ってもらう画が浮かび、

小さい子どもがいて

たくさんの毎日を写真に映して

親や祖父母もその映ったものを楽しみにしていて

それを眺めるやわらかい時間を過ごしてほしい

 

そう言葉にだしました。

 

 

そうすると

じゃあどんな手触りが心地よくて、どんな形が安全で、どんな仕組みが使いやすくて…と、

具体的な形状のイメージが進んでいきました。

 

まずは使う人のことを一生懸命考えて

じぶんの表現はその雰囲気だったり、細部の仕様だったり、アイデアだったり、

そういうところに込めればいいんじゃないかなぁと

そう思い至りました。

今は、アーティストのような作り方はできないんだろうなと思います。

 

 

自宅の見えるところに目標期日を貼り出し、進めることにしました。

じぶんと奥さんしか見ることはありませんが、

気持ちが変わるような気がしてます。

 

 

幸い周りに赤ちゃんがいる友人が何人かいたこともあり、

夜泣きのときの灯りのこととか

親子の写真とか

見聞きさせてもらいながらイメージを膨らませていきました。

みんな夜泣きのときは、

豆電球だったり、間接照明にカバーをつけたり、廊下の光をつけて漏らしていたりしていました。

そんなこと初めて知りました。ちょうどいい弱い灯りがないという人もいました。

 

そんなところからLEDの光の強さ、空間への広がり方、目への入り方をもう一度考え、

形をつくっていっています。

 

明かりがあるところでの明かり採りにはならない。

でも最後の一灯に使うと

表情がぼんやり見えるくらいの仄明るさ。

 

角のない丸みのある手触り、設置の仕方、置くより壁やものに掛ける、

簡単に壊れないこと、壊れても替えがきくこと、

雰囲気、材質、パーツの大きさ、

改めて今ひとつひとつ見直しています。

 

夜の灯りになり、想いの詰まった切り取られた時間がやさしく届く。

子どもを持った親が使って、さらにじぶんの親やじーちゃんばーちゃんに

そんな灯りを贈ってくれて、

それが使いやすいもので、日々使ってくれたら、

とてもとてもうれしく思います。

 

作りだしてもう何年も経ってしまっていますが、

諦めず、そして焦らず、焦らず、

意識を持って作り上げたいです。